0109:FF11小説『たそがれのまほら』5. 遡る時

「ああ、ちょーヤベェ」
 シェリルが無表情かつ無感動に、声は抑揚なく、限りなく平坦に呟いたのをむつこは聞き逃さなかった。
 普段は賑やかで、有り体にいうと乱雑で奔放な人間がずばり神妙に、端的にそれだけを呟くことの恐ろしさといったらご理解頂けると思う。つまりは、言葉通りにとてもマズイ状況であるということを。
 関節の軋み音なのか、はたまた無力な人間を蔑む嘲笑なのか――どちらとも判別付かない、よく分からない細かい羽音のようなものを掻き鳴らしながら、暗雲の空を背負い、徐々に降下してくる赤銅色の魔法生物の目に見えない圧力を前に、全く足を動かせない自分に気付く。視界の中のシェリルも暦も同じようだった。一歩でも動けば、先にやられる。でも、動かずにいれば、そのままやられる。奇妙かつ絶望が蔓延する硬直状態。
 そんな状況下で――
「むちゅこー」
 背後にいたはずの姉の声が随分と遠くから聞こえた。
 そんな状況下で、なんとか身体ごと振り返ったむつこは、平然ととんずらかましているもちやと、それに手を引かれているささめを見た。しかも、もうあんな遠くに。
「むつこさん、なにぼさっとしてんだ。さっさと逃げるぜ!」
「おおおいバカ! 動けないんだよ、私も連れてけよッ!」
 認めよう。これは、恐怖という奴だ。
 足が震えて身じろぎひとつ困難だというのに、なんなんだあのシーフは。
「ええッ? 三ヤルム手前から赤ん坊が泣き出すというあのむつこさんに怖いものがあったなんて!」
「よーし、分かった。義兄が私のこと、どう思ってるか良く分かった! 後で酷いからね!」
「分かったから早く動けよッ!」
「いいからまずは助けろよッ! 義兄の持てる力を全身全霊つぎ込んで私を助けてみろよッ!」
 その、瞬間――
 ぶぉぉん、と。
 擬音にすればそんな感じだったと、後から振り返ってみて思うのだが、むつこの右側頭部ギリギリを、手入れを欠かさずにいた黒髪の何本かを掠め巻き込んで、相当の質量をもつ巨大な物体が回転しながらもちやとささめ目掛けて飛んでいった。
「ぎゃあ、まじかッ!」
 もちやの悲鳴が聞こえて、赤銅色の剣が地面に突き刺さり、爆砕する。
 見たところ、魔法でもない、爆薬が仕込まれていたわけでもないただの巨大で歪な剣のはずなのに、投げ付けて地面に突き刺しただけであの威力。間一髪、剣の直撃は免れたものの、破砕し、舞い上がった地面の土砂と岩石に押し潰されて、ふたりの姿は見えなくなってしまった。
 再び振り返ると、カトゥラエは既に地面に降り立っていて、一番近くにいた暦をいとも簡単になぎ払ったところだった。続けざま、次にシェリルを打ち倒そうとした魔法生物だったが、彼女はいつの間にかフヴェルゲルミルをその手にしていて、容赦なく振り下ろされる斬撃を受け止める。
「あ――ああ――ああああぁぁぁ――ッ!」
「シェリ姐!」
「いや無理。もう無理! むっちゃん、なんとかしろッ!」
 カトゥラエの自由な左腕が動く。同時に射出されたのは、限りなく透き通る氷塊――高位精霊魔法のブリザガ。それはファストキャストという特技を持つ赤魔道士のむつこでさえ舌を巻くような素早さで詠唱が完了していて、認識した時には避けようのないぐらいの距離にあった。
「――ッ!」
 今度は毛先の数本が犠牲になるだけで済まされるようなものではないと悟ったむつこは動かなかった身体に鞭入れつつ、無理矢理という表現のままに身体を捻る。バックラーを備えた腕を眼前にねじり上げたが、氷塊はバックラーも、タバードも、それから腕の肉さえもこそぎ落とすような勢いで過ぎ去る。直撃だけは避け、やり過ごしたものの、庇った左腕が一瞬で動かなくなっていた。
 氷塊は背後でガラスのように砕け落ちる。
「じょ、冗談じゃあ、ないわよ……ははっ」
 徐々に感覚が失われていく左腕の状態を確認している間もなく、シェリルをなぎ倒したカトゥラエが悠然と地面の上を浮いて滑空してくる。歩数にして五歩先、もうこの上なく目の前。
 今日は、例えば、閉ざされた北の大地への遠征があったり、近東への傭兵キャラバンに参加したりと、命を掛ける場面など何ひとつない日常のひとコマで消化される日だったはずだ。コメディかシリアスかの二択で言うのなら、絶対に前者の日であったはずだ。少なくとも自分はそう思っていた。
(人生って……そんなもの?)
 どこにいても何をしていても終焉はそこかしこに潜んでいて、多くの人間が、多くの機会で遭遇しないだけで。所詮はまぐれやラッキーの連続でしかないことを理解しておらず、コメディの傍には不幸なシリアスが常に付き纏っていることを。
 自分は日常だと思っていた今日も、シェリルやもちやが包み隠していたことが不幸なシリアスに直結するような内容であったのなら、それに無理に首を突っ込もうとした自分たちが愚かだったのだろうし、人生はそんなものなのだと分かってしまえば、あとに零れるのは乾いた笑みだけだった。
 むつこの目の前で、カトゥラエの右腕が上がる。握られているのは、とても切れ味がよいとは思えない無骨で歪で巨大な赤銅の剣。おそらくその主目的は斬るではなく、叩き潰すであるところの。
 その向こうに映るのは、ただただ無慈悲な死。
「ざけんなよ、魔法生物風情がッ!」
 カトゥラエを挟んで、その向こう。シェリルが吠える。
 なぎ払われ、土まみれになりながらも、彼女は力の限り、召喚魔法を紡いでいたのだ。
 詠唱が完了すると同時に――
「……え?」
 観念して、瞼を閉じていたむつこには、何が起こっていたのか全く分からなかったけれど。
 見たものをそのまま表現すると、紫電の如き剣閃がカトゥラエの背後から襲い掛かり、その巨体の上半身と下半身を一瞬にしてふたつに分断した。下半身という支えを失った上半身はゆっくりと前のめりに崩れ落ちていく。剣閃を視線で追うとその先には、主であるシェリルに寄り添うように漆黒の毛並みを持つ動物。
 くびれた足。それが計六本。長い胴から生やしている。更に立派なたてがみを持つ細長い頭、面長な顔。全ての光を吸収して、自ら発光しているようにも見える見事な黒い毛並み――それは、馬と呼ばれる生物。騎乗戦において、チョコボが全てを支配するこの世界において、希少とも呼べる動物。それでも前足、後足の計四本で走ると聞いていたが、六本足の馬とは聞いたことがない。
 そして、その馬上には白亜のプレートアーマー、悪魔を思わせる黒いホーンを生やしたフルフェイスの、カトゥラエに勝るとも劣らない巨体の騎士。その手には、幾又にも分かたれた凶悪な形状のランスを携え、威風堂々としていた。
 それが、たった一閃でカトゥラエを斬り裂いた――のか?
「シェリ姐!」
「……そう、何度も使えるモンじゃねぇんだ。感謝、しろよ」
 貴重な魔法で助けたむつこに対してか、貴重な魔法で葬ったカトゥラエに対してか。その真意を知る前に崩れ落ちるカトゥラエの上半身から漆黒の煙が吹き上がる。さながら、とめどなく溢れ出る鮮血のように。
「な、なに……?」
 噴煙はバタリアの大地を染め上げ、黒く濃縮していく。黒渦のように極限まで圧縮されて、次の瞬間、バリバリと派手な音を立て自壊していった。景色が割れ、あとに残ったのは、嫌というほどに生物的な口蓋。大地から空を穿つように並ぶ凶悪な牙がまるで悪夢のよう。
 カトゥラエが息絶えると同時、辺り一帯の地面を覆った巨大なクレーターは、時を喰らう神獣アトモスと呼ばれるものであったが、既に渦中であるむつこにとってはさほど役に立たない知識であり、これから始まる苦難を考慮すれば、頭の片隅にさえ残しておくほどの余裕がないものでもあった。

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