0110:FF11小説『たそがれのまほら』6. さかしまの世界

 いつか、どこか。今ではない世界において――

 涼やかな風が森林の中を駆け抜けてゆく。
 それに揺られた草木がむつこの鼻孔をくすぐって、それで目が冷めた。
「……んれ……ここは……?」
 寝起きで、頭がぼーっとする。思考が上手く働かない。見上げた空は雲ひとつない快晴であり、朝日が東の空に浮かんでいた。基本的に生活リズムの不規則なむつこには、こんな時間に目覚めること自体、稀であると言えた。姉と朝食の約束でもしない限り、いつでも二度寝の虜。
「なんで、私、こんなところで……」
 周りを見渡す。背丈の高い下草。視界を埋め尽くす非常に濃い緑。
 どことなく見覚えがある景色で、なんとなくの想像は付いていたけれど、よくよく目を凝らして見てみて、やっぱりジャグナー森林だと理解した。
 頬に付いた土を払ううち、だんだんと意識が鮮明になっていった。全てを思い出して、むつこはがばりと立ち上がる。
「ちょ……おねぃちゃん! もちや!」
 残念だが、一緒だったはずの彼らの姿はない。何がどうなったのかも分からない。
 分からないが、意識を失って、このジャグナー森林で一晩――?――過ごしたらしい。野営用の毛布すら被らず、よく風邪を引かなかったものだ。そこは、自分の体の頑丈さに感謝する他ないが。
 付け加えるのなら、シェリ姐もいない。暦もいない。携帯されていたモーグリもいない。自分ひとり。そもそもを思い出してみると、だ。自分たちはジュノを出て、バタリア丘陵にいたはずだ。そこで、シェリ姐たちとひと悶着あった後、アルカナ類カトゥラエ族という巨大な魔法生物の強襲を受けた。とてつもなく強くて圧殺されそうになったとき、シェリ姐が召喚した幻獣が魔法生物を一刀両断に切り伏せて――
(それから……?)
 記憶が途切れている。
 バタリア丘陵にいたはずの自分は、何故ジャグナー森林で倒れているのか。確かに地続きではあるけれど、ここは、おそらくジャグナー森林の中でも割と南の地域。川のせせらぎが近いことからグィンハム・アイアンハートのキングトリュフにまつわるエピソードが刻まれた石碑がある辺りだ。
 気を失いながら、夢遊病よろしく一晩で辿り着けるような場所ではない。
(どう、なってんの)
 冷静に考えようとすればするほど、おかしなことばかりで辻褄が合わず、混乱するばかり。
 震える手先で鞄の中を漁ってみたが、すぐに舌打ち。バタリアからちょっとしたピクニック気分だったむつこは、よりにもよって移動手段を封じ込めた魔法具の一切を置いてきてしまっていた。指輪も呪符デジョンもない。むつこが白魔道士ならば、クリスタルラインの力を利用するテレポなんて魔法もあったかもしれないけれど、ない物ねだりをしても仕方ない。
「おっと。アウトポストってテがあるじゃないか私」
 正直、分からないことだらけだったけれど、とりあえず落ち着いて考えることが先決だと思い、アウトポストを目指すことにした。近くに見当たらない姉やもちやのことも気がかりではあったが、自分もそうだし、彼らもそうだけれど、既に熟練の域に達する冒険者だ。ルーキーの通過儀礼ともいうべきバタリアやジャグナーにおいて、後れを取るなんてことは万にひとつもない。
 おそらくこの辺だと頭の中でマッピングしている場所から少し歩くことになる。川沿いに北上すればコンクェスト前哨基地――通称アウトポストが見えてくるはず。木造の屋舎や物見やぐらが目印だ。百七十五日毎に各リージョンの支配国が更新されるコンクェストにおいて、このジャグナー森林が属するノルバレン地方の支配国がどこかまでチェックしていなかったけれど、いくらか金を積めば、アウトポストテレポで自国まで送還してもらえる。
 この辺りは獣人オーク族の本拠地ダボイ――エルヴァーン族であるむつこは、ラヴォールの呼び名を個人的に推させてもらう――がすぐ傍にあることもあって、オーク族や黒い毛並みの剣虎族がよく出没する。しかし、繰り返すことになるが、この森林はルーキーたちにとってのいい狩り場であって、今のむつこを見て、知能を持つモンスターが襲い掛かってくることはまず有り得ない。草葉の陰に隠れて、じっと息を潜めているほうが得策だと考えるだろう。
 そんなことも鑑みて、邪魔が入らなければ、アウトポストまで半刻といったところか。
「なんか、久しぶりだねー」
 長く続けていると、冒険者になりたての頃のことを忘れがちになる。目が回るような忙しさの中で、でも、いつでも思い出すのは、ロンフォールやラテーヌ高原、バルクルム砂丘での出来事ばかり。目に映るもの全てが新鮮で、何もかもが輝かしかった時代。
 老練を気取るつもりはさらさらないけれど、たまに訪れるルーキーを見ると微笑ましい気持ちになる。
「にしても……」
 確かに懐かしい光景ではあったが、北上するにつれ、微妙な記憶の差異に疑問符を浮かべるようになっていた。
 ここは、まごうことなきジャグナー森林だったが、何かが違う。
「緑……?」
 明確な答えは出ないまま、口にしてみた。
 うまく言い表せないが、鬱蒼と、暗く生い茂っていただけの木々の一本一本が、精気に満ち溢れ、葉を青々と染め上げている――そんな錯覚さえ感じた。一言で言うと、鮮やか過ぎる、だろうか。
「なんでだろ」
 最後にジャグナー森林を見たのはいつだっただろう。
 驚くほど昔ではない気がするのだが、その間に森林の緑にとって何か良いことでもあったのだろうか。
 と、
「え?」
 視界の隅で何かが動いたと思いきや、そいつは突如として牙を剥き、頭上から飛び掛ってきた。
 真っ先に下降してくる二本の凶悪な牙が確実にむつこの頭蓋を捉えていた。
「なんなのコイツ――ッ!」
 叫びながら、形振り構わずに横っ飛び。おかげで着地にも失敗し、膝擦り剥いてしまったが、そんな些細なことに気を掛けている余裕もない。振り返る。そこにいたのは、森林の緑と対比して、ぎらぎらと燃え上がるようなオレンジの獣。
「剣虎族……?」
 訝る。ジャグナー森林に生息する――ジャグナー森林だけではないが、このヴァナ・ディールに生息する剣虎と呼ばれるサーベルタイガーは一様にてらてらと光るような黒い毛並みの種族で、それが好まれ、剥いだ皮は高値で取り引きされることもあった。
 だが、今、むつこの眼前で飛び掛らんと、四足で下草を踏みしめながら練り歩く獣は違う。特徴となる長い牙をはじめ、姿形こそ剣虎ではあったものの、その体毛はオレンジを基調とし、僅かながらに縞々の黒が混じりこむという、見たこともないモンスター。
(私……いつからか、勘違いしてる?)
 魔法生物が息絶えて、現れた巨大なクレーター。むつこの記憶はそこで途切れている。次に目覚めた時はこのジャグナー森林だった。その間に何かがあったとしか思えない。記憶の接合点を探っても、全くの無意味であることは理解していながら、オレンジの獣を前に現実逃避してみる。
 ここは、本当にジャグナー森林なのだろうか。
 いや、もっといえば。
 ここは、私の知るヴァナ・ディールなのだろうか――

 それが、クォン大陸の北、ノストー海峡を隔てた先――凍土と針葉樹林に支配されたラゾア大陸から、オーク族が持ち込んだ剣虎族の亜種スミロドンであることを知るのと同時、この世界が天晶歴のいつの頃なのかを知って、絶望的な気分に叩き落されるのはもう少し先のことだった。

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