0111:FF11小説『たそがれのまほら』7. をかしき再会

 何も戦いとは、実際に剣と剣を交えること、もしくは、読み合いに勝って魔法を炸裂させること――そういった物理的なやり取りだけには限らない。もちろん結局のところ、自分が生き残るためには、相手を殲滅する必要があるわけで、最終過程としてそこに辿り着くのは確かであるが、辿り着くまで、いかに自分が楽に駒を進められるか。そこに注力する戦い方だって存在する。
 つまりは、情報。同じ敵と戦う場合でも、事前に情報があるかどうかで駒の進め方は大きく異なる。相手が得意とする技が分かれば、その発動の瞬間に生じるクセを知ろうと努力するし、そのクセが分かれば技を回避するための対策を講じることだって可能。自分のペースで有利に進めるためには、絶対に必要なものだ。
 とはいえ、相手が隠し持つカードに何が書かれているのかなんて、分からないのが普通で、当たり前のこと。でも、それを暴いた上で、相手を上回る――そんな問答無用の絶対的な力があるのもまた事実。
(たとえば、シェリ姐みたいな奴ね!)
 少なくとも、「今の自分は」そうではないので、ないものねだりということにしておくとして。
 宙を薙いで迫る丸太のような腕の切っ先、鋭い爪を剣で受け止め、橙色の腹を蹴る。体格に似合わず可愛らしい悲鳴を上げて踏鞴を踏む獣だったが、その眼には、爛々とした狂気の光が蓄積されていく。繰り出される攻撃はジャグナー森林などで見かける漆黒の剣虎と同じなのに、ただ見た目が変わるだけでこんなにも疲弊するものなのか。
 左右から迫る前脚の爪のワンセットをかわす。続けて、上体を持ち上げ、噛み砕こうとする牙。随所に重力のグラビデ、束縛のバインド、遅延のスロウを織り交ぜ、獣の攻撃を阻害し、目には余裕を以って回避しているようにも見えるかもしれないが、内心では焦り始めていた。
「てゆーか、コイツなんなのよぉッ!」
 橙色の剣虎なんて知らない。見たことない。聞いたことない。というか、本当にここはどこなんだ。
 知ると、知らないと、つまり事前情報や予備知識の有無で、こんなにも気分的な差が生まれるものなのか。記憶の整合性が取れずに困っていたところに悲観的なことばかりが上乗せされ、それらがぐるぐると脳裏を回って、混乱が絶頂に達する頃、橙の獣は更に上体を大きく逸らし、身も凍えるような雄叫びを上げた。
「……ッ!」
 相手を恐慌状態に陥れ、麻痺の状態異常を付与する剣虎族の咆哮――だったはずなのに、むつこの身体には特に変化が見られない。
「あれ」
 敵を目の前に拍子抜けしたように呟く。
 空いている手の平を軽く握って開いてを繰り返しても、特に痺れなどの兆候は見られない。
 あの咆哮がこけおどしと判断し、その直後で硬直している獣に向かって片手剣のウェポンスキルを叩き込んでやろうと思った瞬間に、むつこは有り得ないほどの戦慄を覚えた。そして、そのコンマ何秒の間、呆然と立ち竦んだ隙に再び迫った丸太のような腕の一撃がむつこの胴を薙ぐ。
「が、ぐッ!」
 幸か不幸か、身体は傍の大木に叩き付けられてすぐに止まる。距離が開かなかったのは、やはり不幸だ。
(うそ……うそ、うそうそうそッ!)
 声に出すことさえ忘れたようにむつこは喘いだ。
 信じられない。自分が――

 ウェポンスキルを忘れただなんて。

 いや、ウェポンスキルだけではない。
 身体が宙を舞っている僅かな間に、これまで自分が会得した数々の特技を頭に浮かべてみた。でも、箪笥の中にしまい込んだ記憶が取り出せなくなってしまったような感覚が先にあって、必要なものまで辿り着けない。そもそも、そんなの意識しなくたって引き出せていたものだ。
 それが今、頭の中が霧に支配されたかの如く、全てを阻害する。
 あるいは――
「なに、なんなの、これ……」
 震える両手を見下ろし、呆然と呟く。
 そんなむつこを橙色の大きな影が包み込む。
 それが敵であると認識しながらも、どこか俯瞰的に自分とは関係のない面持ちで見上げて、悟る。
 訳の分からない世界に放り込まれて、見たこともないモンスターと遭遇して、あまつさえ、戦闘技能の全てを失って――その末路は、
「――りゃあッ!」
 刹那、二者の間に割り込んできた小柄な影があった。
 むつこに向かって振り下ろされた獣の爪を装備していた手甲で横に受け流し、がら空きとなった胴体に鋭い蹴り足を埋め込む。もんどりうって転がった獣だったがすぐに起き上がり、敵意の眼差しをむつこから突然現れた闖入者に向けようとするも、獣は明らかに躊躇する素振りを見せた。その場で足を止めているなんてことはなく、既に剣虎の側面へと移動していたためだ。獣もむつこもその動きを完全に追いきれていない。
 ふっ、と小さく息を吐き出す呟きのようなものと共に、真っ直ぐに繰り出された拳――正拳突きが剣虎の胴をくの字型に折り曲げる。
 そして、
「やぱさんッ!」
 連れ合いが居ることを示すように、割り込んできた闖入者はどこか聞き覚えのある名前を叫んで、バックステップでその場から飛び退く。
 次に声が流れてきたのは、むつこの更に背後からだった。
 それを確認する間もなく、前方。ダメージから回復し切れない剣虎の周り――じゅわっと、空気が弾けたかような音がして、幾筋もの青と黄の光が乱反射を繰り返しながら収束。続けて、目に見える巨大な落雷が獣の脳天から足先までを突き抜けて、跡形なく炭化させてしまった。
「やっほー。むっちゃん、ご無事?」
 黒焦げになって崩れ落ち、もう息をしていないであろう獣を背後に、最初に飛び込んできた闖入者が軽々しく手を上げる。混乱する記憶と視界がそれを顔見知りだとは判断しなかった。ヒューム族の女の子で、茶褐色の髪を頭のてっぺんで結わえている。道着姿に腰にぶら下げたナックルは彼女がモンクであることを端的に示していた。
「……あれ。むっちゃん、だよね? さとこですけどー?」
 反応を示さないこちらを訝しげに見る彼女。
 背後からは、とどめとなったサンダーの高位魔法を浴びせた黒魔道士が近付いてくる。こちらもヒューム族で、男性。金髪の髭面が印象的だ。
「ん……もしかして、むつこさん。アムネジアにやられてるんじゃないか?」
「げっ、まじで!」
 アムネジア――
 記憶喪失症や健忘症の別称であることを頭の片隅で思いながら、むつこはまたもあっさりと意識を手放した。


 それが一時的なものであったのは幸いであったに違いないが、次に目覚めたところで広がっていた故郷の光景がえもいわれぬ物々しい雰囲気に包まれていたとき、人はどういった反応を示すのか。
「うえええぇぇぇぇ――ッ!」
 と、やっぱり自分のように訳の分からない叫び声を上げてしまうに違いない。
 各門には防衛のために格子が設けられていたり、街路のあちこちには防衛柵が設けられていたり、あまつさえ、目の前にあった猟犬横丁には、移動式の牢屋が敷かれ、その中には捕らえられたと思しきオーク族までいる。確かこの辺は露天も多かったはずだが、目に見える範囲にはそんなのどこにもない。遠目に見えた競売場のあった場所は、高い尖塔にすり替わっていた。
 そこは、天晶暦八百六十二年。
 戦時中、まさにオーク帝国軍と小競り合いを繰り返す最中の南サンドリアの風景だった。

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